「味爽の涼気」
この語句を一度使ってみたかったのです。
辞書には「【味爽】まいそう(1)夜明け」とありました。この日私は夜明けののんびりとした大気の中、正しくはなんと呼ぶのでしょうか、私はひそかに「京(みやこ)の中道」と呼んでいる藤原京跡を二分する農道に立っていました。
香久山の西麓を北に向かって走り、奈良文化財研究所飛鳥・藤原京発掘調査部の庁舎の前を左に折れたところです。
ここからは、前方にオニギリ形をした畝傍山、背に低いながら堂々とした山容の香久山、右手にわずかに土地を膨らませる耳成山と、この地に都をつくろうとした持統天皇の気持ちがわかるような三山の風景が望めます。風がわずかにありました。
「---私はその晩それ(光悦の茶掛けの小幅)を自分の書斎の床の間にかけた。私は電灯を消して、古い世界からでも来たような柔らかなロウソクの光に対座した。私は自分の耳に、古い古い歌を聞くような心持がして…(中略)…王城を去るわずか二十余町の大虚庵にでも座りこんで、今しもたぎる鉄瓶に耳を澄ましているようにさえ想像した---」。
これは野口米次郎の著した『日本美術読本』の一節です。奥付には、昭和三年七月五日 定価金壱円五拾銭とありました。古い時代の本です。京都の古本屋でこの本を見つけ、一読後前記一節がずっと心に残っていました。
そしてつい先日のことです。隣町の古道具屋で塗りものの椀(わん)を全部で三十客三千円でもとめました。飯椀、汁椀、それに煮染椀とすべて蓋つきです。色合いは朱といっても鮮やかなそれではなく少しくすんでいて、よく言えば古色。ただ、姿の繊細さからそれほど古いものとは思いませんが、この種の器が使われていた時代を思うと明治の初めくらいまではさかのぼれそうです。
その夜、三十客の椀を洗い、土間に据えられた樹齢300年の松を半割りにした卓の上に並べたのです。すると、古道具屋の昼光色の明かりの下では見ばえのしなかった椀の塗りの色合いが、藍染館のほの暗い電灯のもとでなんともいえない味わい深い色を見せてくれたのです。
そのとき、前記野口米次郎の書中の一節を思い出し、なるほどひとり合点していたのでした。
これらの椀類が作られたころ、日々の暮らしはロウソクの明かりの下だったのです。それが電灯にかわり、蛍光灯にかわり、一室一灯がニ灯三灯に増え、とうとうその日私が求めた椀類は居場所がなくなってしまったということでしょうか。
それにしても一客百円は安すぎるとは思いませんか。
蓋付きの一椀ができるまでを思うと、椀を作る木地職人がいて、漆を塗る塗師(ぬし)、その漆を山からとってくる漆かき職人…と腕がたしかな幾人もの人の手の重なった仕事です。
それが時代の変化の中で無造作に捨てられていく。求めた一椀を手にしたとき、捨てられていくのはモノだけではないと思いました。この国の人たちが長い歳月をかけてつちかってきた感性とか技術とかいった一椀に盛られたものも同時に捨てられているのです。
陶芸家・河井寛次郎の語録に、たしか「物買う 自分買う」という一語があったと思うのですが、ならば「物捨てる 自分捨てる」とはいえないでしょうか。
あまり偉そうなことは言えませんが、ここらあたりで一度立ち止まって、モノにもそして自分にも光をあてなおしてみたらどうでしょうか、と。
思い出すままに、河合さんの語録からもうひとつ。「足の裏にも 月見せよ」。この無類のやさしさがヒトにもモノも生き返らせるのだと思います。